安寧
6月1日より、大幅な自粛規制の解除となり
少しずつの経済活動再開を試みようとする世の中となりました。
思うことは、今後もコロナに変わりうるような事由が発生する可能性が
非常に高く、継続しやすい世の中に移行したと思うのです。
これは、地球環境変化によるもので、ひいては人間の社会活動による負の遺産です。
しっぺ返し、とはよく言ったもので
少なくとも現代に生きる我々にとって、これを子供の代、孫の代、ソレ以降。。。。
に持ち越してはならない、と意識をするべきなのに
そういう考えを持っている人々が、とてもとても少なくなってきています。
大局観で、物事を考えることに乏しくなってきている、自分のことばかり。
せめてもう少し周りに目を向けてみることが大切なのに。。。
(とにかく、みること。見て何かをできるできない、ではなく、まずは見ようとすること)
いつもなら、〜だと思います、〜かもしれません、と呟くところですが
今回ばかりは、私なりの考えを断定的に記させていただきます。
で、毎年6月1日は、世界の安寧を祈念するべく、お伊勢参りしてきました。
少し薄曇りの空ではございましたが、車を飛ばして、京都より約2時間弱。
おかげ横丁は、人もまばら、あちらこちらの店で、アルコール消毒、そして
ソーシャルディスタンスの措置を取られていました。
これから、今までの賑わいを取り戻すには、どれくらいの時間が必要なのか。。。
もしくは新しい価値観を見出すべきなのか。。。
鳥居をくぐり、五十鈴川を渡理、少し湿った涼しい空気の中
新芽の香りも、少し残しながら、歩みを進めます。
やがて本宮へ。心静かに、手を合わせさせていただきました。
安寧を願って。
帰り道に、近所の月読宮にも立ち寄り、初めて参拝。
気持ちも穏やかに、新しい月を迎えます。
サラリーマン姿のグループがちらほら
夕方の京都の街を、夜の会合に出かける姿を見かけました。
いろいろな価値観が、社会の中で渦巻いています。
私は、どうあるべきか。
どのスタンスで、変動の世の中をスムーズに乗り越えるか。