春めいて
すっかりと春分の日も近づいて
夕方のそれの長さと、その夕焼けの空具合が
春を感じさせずにいられない、そんな今日この頃。
気分は、忙しない(本当に忙しない)年度末も
あと2週間、なんとか乗り切れば終わり4月の春うらら、がやってくると
辛抱、辛抱、と自分に言い聞かせながら、1日を過してよとや、でございます。
現場に行く途中のラジオでは、相変わらずスギ花粉の弊害について
語られていることが多いのですが
なになに、詳しく聞いていると
スギがこれだけ日本国内に拡がったのは
自然発生ではなく、戦後の国策として
資材が少なくなった、この狭い日本の再復興のために必要な建材として
スギやヒノキを植え続けたことが要因なんだそうです。
やがて外国からの安い資材が入荷されたり、林業が徐々に衰退されたり
土の地面から、コンクリートジャングルになったり、大気汚染と花粉が、強力スクラム組んだり。
これ、まさに踏んだり蹴ったり。
でも、なんとなく、そろそろ終焉の予感もしたりするんですけれどもね
毎日、スギ花粉測定アプリで、幸せの未来予想図を展開してるの。
でね、なんとなく春が近づくと読書欲が湧いてきて
色々と手をだしてりしていますが
岡潔先生の春宵十話は、本当に面白いです。
ただその中で先生がおっしゃるように、コレを読んだ=そういうことを意識した
という模倣遊戯で終わるのではなく、色々な事由について
改めて見識を持とう、情操と情緒について、色々無い頭を使いながら
理解しようと勤めているところです。
あと、某芥川賞受賞作の本については
なんだか読んでいても、つまづいているような感じで
サクサク進まないことが、不思議に思うのです。
池波先生や、司馬先生やったら、あっという間に20ページとか
よくあることだったので、これも自分に合う合わん、があるんだなぁ
また、そういう合わないものに、無意識に対応しない(抵抗しようとする)
自分が、ここにあるよなぁ、なんて思ったりもしているのです。
衣装して 梅改める 匂いかな(芭蕉)
何事にも礼を尽くして対応する。
いつでも謙虚さを忘れずに、生きていたいものです。
知的好奇心の活性、これは楽しい。