震災をおもう
3月11日、京都市でも
9時半に一斉アラームが鳴りましたね。
朝からニュースでも、東日本大震災から8年が経ったこと
各地域での震災に関する取り組みなどが紹介されています。
何かを失う事、ってとても辛い事だけれども
時間と共に、徐々に忘れていく。
とはいえども、失う物の内容によっては
一生忘れ得ないことになる可能性もあって。
東日本大震災のそれは、震災から津波、さらには原発事故によって
身近の人、住む場所、生活、ふるさと、、、
自分に取っての基礎が、すべて奪い去ってしまいました。
今の自分の当たり前が、全く無くなってしまうことなんて
想像すらできない。
けれども、可能性としては心の中にとどめておきたい。
少し観点は違うかもしれないけれども
池波正太郎がいつも言う『人は死ぬために食べて生きている』
この考え方は、普段の生き方に、なにかしらのヒントであるかと思うのです。
先ずは平穏無事な毎日を過ごせている事に、日々ありがたみを感じていたいです。
そして、1日を充実して過ごしたい。
さらに、今日は震災をとにかく「おもう」日でありたいです。
春になれば、一人で仙台に訪れたいと思っています。
まだ私達が訪れたときに、再開していなかった仙台〜女川の電車に乗って
再開発が進んでいる石巻・女川を訪れたい。
街に流れる風、港に響く音を感じたい。
日々、皆さん忙しなく生活されていると思います。
東日本大震災の直接被害を受けていない我々にとって
何が出来るのか。
せめて、この日ぐらいは、日本国民全員で「共有」したいのです。
震災の事をおもう、それを共有したい。
それぞれ、各々、出来る事は色々です。
何かを行動する人、復興の仕事に取り組む人、まずは「おもう」人。
共有こそ、日本の強みだと私は思うのです。
我々の仕事もそう。1つの目標を共有する事が組織を強くする。
日本もそういう国でありたい、あってほしい、その一端は担いたい。
この3月もあと20日。
やがて桜が咲いて、本格的に、春。
素直に、春の訪れを楽しむ事の出来る自分の今の生活に
ぼんやりと幸せをおもいたいのです。