春やし、色々ある。
現場からの帰り道。
弊社の前は、旧奈良街道が走っています。
道幅もそんなに広くなくて、電柱などが出っ張ってきてる、そんな旧道で
これからのシーズン、なぜかこの片田舎に観光バスが行き来する、
大きい車がすれ違うときには、かなり苦労する道なのですが。
で、そのど真ん中で、おじいさんが倒れていました。
車が、バスが、立ち往生しています。
あれれ、、、
車から降りて、他の助けようとしている人に混じって声をかけました。
近『大丈夫ですかー!?』
爺「頭いたいわぁ。。。」
近『動けますかー!?』
爺「、、、、うるさいなぁ、ぎゃーぎゃー」
近『???』
私の声がウルサイそうです。
いやいや、そうじゃなくて。
近『とりあえず、ここにいたら危ないから、側道に運びますよ』
爺「離せっ!なにすんねん!」
近『・・・はぁ?』
酔っ払ってるんかいな、この人??
とにかく、ギャーギャー喚いてましたが
他の男で借りて、安全な場所まで運びました。
爺「☆?Aあふぇwふぁljfおあ」
近『ほんなもん、あんたココおったら危ないから、運んだんやないか!』
爺「なら、轢き殺されてもええねんやぁ」
なんなんだ、この爺は。。。
その後も、やれ頭が痛いとか
救急車だけは、呼んでくれるなとか
家は、すぐそこやから、と声かけにいったら
一人で帰れるわー、言いつつも起き上がれないやら
結局、近所の知り合いの方が、偶然通られたので
その方に任せて、引き上げましたが。。。
春やしね。
こんなことも、ありますわな。
嗚呼、年度末も、もうすぐ終わり。
とにかく、安全にこの一週間を。
春めいて
すっかりと春分の日も近づいて
夕方のそれの長さと、その夕焼けの空具合が
春を感じさせずにいられない、そんな今日この頃。
気分は、忙しない(本当に忙しない)年度末も
あと2週間、なんとか乗り切れば終わり4月の春うらら、がやってくると
辛抱、辛抱、と自分に言い聞かせながら、1日を過してよとや、でございます。
現場に行く途中のラジオでは、相変わらずスギ花粉の弊害について
語られていることが多いのですが
なになに、詳しく聞いていると
スギがこれだけ日本国内に拡がったのは
自然発生ではなく、戦後の国策として
資材が少なくなった、この狭い日本の再復興のために必要な建材として
スギやヒノキを植え続けたことが要因なんだそうです。
やがて外国からの安い資材が入荷されたり、林業が徐々に衰退されたり
土の地面から、コンクリートジャングルになったり、大気汚染と花粉が、強力スクラム組んだり。
これ、まさに踏んだり蹴ったり。
でも、なんとなく、そろそろ終焉の予感もしたりするんですけれどもね
毎日、スギ花粉測定アプリで、幸せの未来予想図を展開してるの。
でね、なんとなく春が近づくと読書欲が湧いてきて
色々と手をだしてりしていますが
岡潔先生の春宵十話は、本当に面白いです。
ただその中で先生がおっしゃるように、コレを読んだ=そういうことを意識した
という模倣遊戯で終わるのではなく、色々な事由について
改めて見識を持とう、情操と情緒について、色々無い頭を使いながら
理解しようと勤めているところです。
あと、某芥川賞受賞作の本については
なんだか読んでいても、つまづいているような感じで
サクサク進まないことが、不思議に思うのです。
池波先生や、司馬先生やったら、あっという間に20ページとか
よくあることだったので、これも自分に合う合わん、があるんだなぁ
また、そういう合わないものに、無意識に対応しない(抵抗しようとする)
自分が、ここにあるよなぁ、なんて思ったりもしているのです。
衣装して 梅改める 匂いかな(芭蕉)
何事にも礼を尽くして対応する。
いつでも謙虚さを忘れずに、生きていたいものです。
知的好奇心の活性、これは楽しい。
震災をおもう
3月11日、京都市でも
9時半に一斉アラームが鳴りましたね。
朝からニュースでも、東日本大震災から8年が経ったこと
各地域での震災に関する取り組みなどが紹介されています。
何かを失う事、ってとても辛い事だけれども
時間と共に、徐々に忘れていく。
とはいえども、失う物の内容によっては
一生忘れ得ないことになる可能性もあって。
東日本大震災のそれは、震災から津波、さらには原発事故によって
身近の人、住む場所、生活、ふるさと、、、
自分に取っての基礎が、すべて奪い去ってしまいました。
今の自分の当たり前が、全く無くなってしまうことなんて
想像すらできない。
けれども、可能性としては心の中にとどめておきたい。
少し観点は違うかもしれないけれども
池波正太郎がいつも言う『人は死ぬために食べて生きている』
この考え方は、普段の生き方に、なにかしらのヒントであるかと思うのです。
先ずは平穏無事な毎日を過ごせている事に、日々ありがたみを感じていたいです。
そして、1日を充実して過ごしたい。
さらに、今日は震災をとにかく「おもう」日でありたいです。
春になれば、一人で仙台に訪れたいと思っています。
まだ私達が訪れたときに、再開していなかった仙台〜女川の電車に乗って
再開発が進んでいる石巻・女川を訪れたい。
街に流れる風、港に響く音を感じたい。
日々、皆さん忙しなく生活されていると思います。
東日本大震災の直接被害を受けていない我々にとって
何が出来るのか。
せめて、この日ぐらいは、日本国民全員で「共有」したいのです。
震災の事をおもう、それを共有したい。
それぞれ、各々、出来る事は色々です。
何かを行動する人、復興の仕事に取り組む人、まずは「おもう」人。
共有こそ、日本の強みだと私は思うのです。
我々の仕事もそう。1つの目標を共有する事が組織を強くする。
日本もそういう国でありたい、あってほしい、その一端は担いたい。
この3月もあと20日。
やがて桜が咲いて、本格的に、春。
素直に、春の訪れを楽しむ事の出来る自分の今の生活に
ぼんやりと幸せをおもいたいのです。
○○流
日曜日の午前に、NHK教育TVでは
NHK杯将棋トーナメントが放送されています。
先日の番組は、準決勝第1組。
羽生九段VS丸山九段。
ちなみに準決勝に進出した4名(羽生・丸山・森内・郷田いずれも九段)については
いずれも40代、ということで
そして、皆さん沢山のタイトル経験者、です。
若手に負けずに、オジサンの元気な姿を見せて!と
どうしても応援したくなるもんでございます。
あんまり解ってないけれども、とにかく面白い。
で、その番組の中で
色々な棋士を紹介していたのですが
丸山九段=激辛流、森内九段=鉄板流、と紹介されており
それぞれの個性ある棋風を、表現されていたのです。
さて。
私の場合は、何流?になるんかな。。。
ふと考えてみました。
うーん
うーーん。
まったく、出てこない。。。
自然流?
そこまで、どっしり構えられてもないしなぁ。。。
適当流?
そもそも、流れが見えない。。。
美肌流?
それは、流儀なんかいな。。。
黒髪流、眼鏡流(大衆的過ぎる)でもない。。。
誰か、名づけて。
考えてたら、お腹空いてきた。。。