月を眺めて
9月24日(月・祝)は中秋の名月でしたね。
その話題の前に、祝日にも関わらず、現場に出ていましたが
この「祝」って雰囲気とか、感覚とか、そういったものが
まったく心に残らないから、きっとお月様も、なかなか雲の切れ目から
顔を出すことが少なかったのでしょうね。
と、初っ端から愚痴っぽいのは、きっと涼しくなったにも関わらず
湿気を帯びている、微妙な空気の性(さが)
夜は室内の電気を落として、東の空から昇ってくる
月のかすかな光を浴びながら、よなよなチビチビ、酒を呑んでおりました。
約15分ほど、月のあかりだけを頼りに。
月にながされて 僕らはいこう
月にまかせた 人生だから
何を言う 何も言うな
今夜の月は きれいだね
こんな歌詞やと、ずっと思ってました。
小泉今日子の『月ひとしずく』
ちゃんと歌詞を読んでみると
違うやん。
月にながされて、とか、月にまかせた、なんて
なんだか月のアレに影響を受けて、感情が揺すぶられやすい
女性の歌になっているではないか。
ホンマの歌詞は、こうざんす。
人に任せて 僕らはいこう
人に任せた 人生だから
何を言う 何も言うな
今夜の月も きれいだね
この微妙なズレ。
さすがに 何を言う の後に 早見優 とは言わない。
まぁ、でも、My歌詞も、そないに悪くないかも、ね。
何も言うな。
そうそう、久しぶりに夜に録画しておいた映画をみたよ。
『ラスベガスをぶっとばせ』
邦題はよい。
日本人なら
裏番組をぶっとばせ!コント55号を思い出す。
ちなみに、私の場合は
ピチカート・ファイブの『夜をぶっとばせ』を思い出す。
(もちろん田島のアコースティックバージョンのほう)
俳優さんで、知っているのは、なんとかスペイシーさんと
モデルのケイト・モスでした。
ストーリーは、いまいち。
ザ・アメリカムービー感が満載。
でも、コロンビア(ソニーピクチャー)だから。
ぐだぐだ言いながらも約100分を眺めていたお。
とにもかくにも、髪を切りたい。
※先週にスマホのアドレスデータが飛んでいますので
引き続き、思い当たる方、一報送っておいてくんなまし。
業務連絡
えー、業務連絡でございます。
私、この日曜日と祝日、連休を頂戴していました。
すっかり、抜けておりました。
買い物に出かけた先で、スマホ無くしました。
他の電話から、かけてもらいましたが、すでに留守電になっています。
警察に届けられているならば、電源を落とされるそうなので
その状態なら,良いのですが。
とりあえず、紛失届を出して
代替えの電話は用意してもらったので、着信は出来ますが
いかんせん、不便です。
いや、不便ではありますが、なんというのか
携帯やスマホの無い生活、あこがれです。
とにもかくにも、連休はこれで全て時間を費やしてしまったので
今夜は王将で、プチセレブをやってきました。
あの小さいお皿のやつを、ちょこちょこ色々、箸つけるやつです。
美味しくビールをいただいて、家でチアリーディング見てます、なう。
ワガママではありますが、ご不便をおかけしますが
引き続き,御愛顧くださいませ。
傷跡
京都では、台風21号によって甚大な被害を被りました。
というよりも、京都の人って、台風について
それほど警戒心が強くないのです。
「まぁ、今回の台風も結局、夜に過ぎ去っていったなー」
「あんまり、雨降らなかったで」
台風一過で、こういう挨拶も通常だったのですが
今回は、完全にやられました。
それもお昼12時ぐらいまでは、嵐の前の静けさだったのに
数時間(16時過ぎまで)で、外の景色がガラッと変化してしまったのです。
停電はする、バキバキ樹木が倒れる、倉庫が飛ぶ。
雨と風の音。恐怖でした。
ご近所の長尾天満宮、醍醐寺、吉利倶八幡宮
とにかく、木が倒れた。折れた。あんなに大きな木が、ボキッと。
翌日の大阪の国道では、突風で信号機が、斜め向いていました。
通電はしているので、信号は点灯しているのですが
それが、さらに通行車両を困惑させる。
夕方の空を見上げると、すっかり秋の気配。
なのに、ね。
最近、読んでいる『防災学原論』には、このように記されています。
雨が降るから洪水になるのではない。
洪水が起きるから人が死ぬのではない。
同様に、地震が起きるから家が倒れて下敷きになった人が死ぬのではない。
雨が降ると地表を流れる水流がただちに地面を刻んで傷を作り
その傷がどんどん大きくなり、戦争中に掘り残した木の根をえぐりだす。
皮は泥水と流木と岩石が逆巻く流れになる。
流木と岩石は傾斜が緩くなる所で止まって川底を高くする。
底が高くなった川から泥水と流木と岩石が溢れて人家を襲う。
(中略)
雨が降るという自然現象の後に起きる災害は、明らかにそのほとんどが
『人災』なのである。そして人災は、人間が考え方と振る舞いを改めることで
防いだり損害を軽くことができるのだ。
もちろん、目の前で惨事・有事があって、そんな理屈、言ってられっか!
との意見は、沢山あると思います。
しかし私は根本的な部分を修正しないと、これからの自然災害に
我々の生活する社会が太刀打ち出来ないだろう、と考えます。
人間が考え方と振る舞いを改めることで、何ができるのか。
それは、脆弱性を減らす努力、なんだそう。
社会と、どう関わり、どう生きようとするのか。
色んな根幹の部分が、問われ続けている、と思います。
池波正太郎は、いつも言います。
生き物は、死ぬ為に食べ、死ぬ為に寝る、という矛盾と共に生きるのだ、と。
世の中にとって、正しいことを判断し、良いことをする。
災害を目の当たりにして、改めて思うのです。
とにもかくにも
皆さん、身の安全を第一に行動してください。
嵐の前の静けさ、京都より。