大震災の話を伺う。
明日で震災3年になりますね。もうすっかり、震災の影響をすっかり感じる事の無い京都に住む我々にとっては、何かを思い直すキッカケになってもらえれば嬉しいな、と思います。
先週、岩手の旅館の経営をされている岩手の中央会会長様の震災のお話を伺う機会がありました。岩手の中心は、秋田県よりなので内地に位置しているので、津波の影響をうけることなく、震災後の援助などは比較的早くに着手された土地なんだそうです。さて、震災当日。岩手の震度は「震度6強」。しかし街中の倒壊家屋はほぼ0パーセントだったそうです。なぜなら。古より、定期的におこる地震の教訓が伝承されていて、家屋の構造は通常のものより強固に設計されているんだそうです。はぁ、この知恵の伝承、すばらしい。旅館で昼過ぎに震災を受けて、とにかく電気が止まって困ったそうです。情報を何も得る事が出来ない。お客様には、とりあえず引取りを願ったが、どうしても帰宅困難な方にだけ、残っていただいたんだそうです。部屋はボイラー室の上の部屋。電気が止まっているので、少しでも余熱で暖かい部屋で、布団を何枚も提供したんだそうです。食事は、厨房のストックでなんとかまかない、3日後に電気が復旧、そして県内・県外の状況をそのときに初めて知られたんだそうです。
岩手は、リアス式海岸の隙間に漁港があり、その漁港はほぼ壊滅。また津波の引き潮で、土地が3~5m削り取られ、さらに津波後の火災で、湾岸の町が全滅したんだそうです。現在、漁港は70%復旧しているそうですが、元々高齢者が生業とする漁業が、後継者不足なんだそうです。もう若い人が東北へ戻ってこない、と懸念されていました。四国4県の合計とほぼ同じ面積の岩手県。四国は330万人ほどいる一方で、岩手は130万人を切ったそうです。現在は、世界遺産指定された平泉を中心とした観光を主とする、復興産業を目指されているそうです。
その方の最後の言葉が印象的でした。それは、京都の組合の1つが、ゴルフチャリティを開催し、その集まったお金で子供たちへサッカーボールやゴールを提供しているらしい。それを聞いたときに、その方がお話されたことが
「子供たちのために、沢山のモノを提供していただき、彼らが自由に身体を動かすことができる状況を作っていただいて、本当に感謝しています。そして、もう1つ。子供たちのメンタル面をサポートする支援もしていただけると大変助かります。なかなか、ここまで手が回らないのが現状です。彼らを健やかに育てること。それが震災を経て、未来を見据えるなかでもっとも重要なことだと私は考えています。」
明日、色々なメディア報道などがあると思います。この機会に、もう一度、震災について何かを思う事が、一番の供養であると私は考えています。そして、我々の生活の防災についても、今一度、思い返す機会にしていただきたいと思います。