初代の13回忌
そうかー、大学を卒業して1週間後に他界したから、あれから12年が経過したのですね。。。あの時は、年度末でとても忙しくて、現場のとある高校で、父親の危篤の連絡が入ってきたのを思い出しましたね。その時に一緒に現場に行ってくれた、井本ちゃん。そしてその後、うちのオヤジが共に可愛がった中森。二人が葬式の時に、大泣きしてくれたのは、友人として本当に嬉しかったなぁ。そんなことを思い出したり。
で、親族交えて、自宅にて法要させていただきまして、在りし日の父の話を色々と聞きました。生前、私は反抗期ではなかったのですが、なかなか詳しく歴史だとか語り合う機会は少なかったので、死語に色々な方々から、話を聞くことが最近は特に楽しみだったりします。まぁ、その当時聞いていたのかもしれないのですが、あんまり覚えてなくて。。。
まず父親の父親(つまり爺さん)が、高松の出身であったということ。私は以前から、何度か高松に旅行したことがあって、かなり好きな街の1つで、以前より仕事とかいろんなことが無くなって(無くなったらダメなんですけどね。笑)自分が移転することがあったならば、高松で住みたい!と思っていたんです。あくまで、なんとな~くだったので、そんな歴史を改めて確認してビックリしたのです。
そして、もう1つ。
父親が府立病院で最後の時を迎えようとしていたときに、親族の皆さんなども病室に揃っていたのですが、その時に「ちょっと二人で話がしたい」と他の人を病室の外に出ていただいて、二人で会話をした、ということを教えられてビックリ。実は、覚えていませんでした。。。でも、なんとなく記憶をたどっていくと、確かにそのようなことがあったことを思い出しました。話した内容については、仕事のことと、家族のことだったと思います。ぼんやりそれを思い出して、しんみりしてしまいました。
一通り終わって、親父のアルバムを改めて見てみると、以前に母親が親戚の家からもらってきた写真というのを初めて見ました。若かりし頃の父親の姿。結構洋風?な顔してますね。息子ながらに、なかなかの男前だと思います。もうこの顔を覚えてくれてはる人は、ずいぶん少なくなりましたが。。。
さらに、供養のつもりで夜に呑みに出た、いつもお世話になっている木屋町の居酒屋の大将(今ではオヤジ代わりです)の出身地も高松でビックリ。笑
結局、一緒に酒を呑んだり、語り合うことってほとんど出来なかったけど、それでもこうして、ちょっと思ったり考えたりすることで供養になったかな?色んなことを思い起こさせてくれる、素敵な1日を過ごせました。
PS
今年、貴方が実家に植えた桜の木は、例年より早く、花を咲かせましたよ。
ちゃんと自分の法要の時期に、花を咲かせるなんて、なかなか憎い演出するね。