3月の雨の日
♪憂鬱な雨~降り続く~無鉄砲な~空~
「五月雨」という曲の冒頭の歌詞なんですが、なんだか今の季節にも使えそうなので抜粋。いやーよく降りますねぇ。だんだん日が長くなってきて、春を少しずつでも感じている今日この頃なので、もう少し爽やかに晴れ渡っていたら、ルンルン春♪になりそうなものを。まぁ花粉症対策中でもありながら、あの軍団の脅威を十二分に理解している私にとっては、雨も少しは「水入り助け舟」になっているのかもしれませんが。
さてさて、最近新聞・メディアこぞって震災関連の情報が多くなってきました。そうですね、もうすぐ1年ですか。今朝の京都新聞に「ハゲタカ」の著者がコメントしていたのですが、みんな何かが起こると誰かのせいにしてしまったり、自分で考えることをせずに特定の発言力のあるリーダーに判断を委ねて少しでも楽しようとしたりしてしまい、ついつい自分で色々考えることが少なくなってきている社会である、のような旨の内容が書かれていました。みんなが「考える葦」になってこそ、より良い素敵な社会になる、ということだ、が彼の結論でした。
とにかく今の世の中、やること多い、情報が多い、時間が少ない、場所が限られている、色んな制限の中で我々は生活していると思います。今のより良い社会=自ら思考しなくても、周囲が進むスピードに乗れば楽に生活できる、と誤解していたことが多分にあったかと思います。これでは自分の足元をなかなか見つめ直すことが難しくなってしまいます。改めて自分の立ち位置を考えてみると、不安になってしまいそうだし。ましてやそんな見つめなおす時間すら取れないのが現状です。。。
よく「より良い社会」について、昨年から色んな場所で言及されているかと思います。しかし、具体的にそれを目指す方法ばかりが書かれていて、何が本当の「より良い社会」なのかが、なかなか問われていない現状ではないか、と私は考えています。そんな中で、色々考えれば考えるほど、色んなやるべきこと、対処するべきことが見えてきて、今度は「色んなことに向き合わなければならない、頑張らなければならない」と個人の限界以上のことに頑張らなければならない危険性を伴うことになります。
弊社の目的は1つです。
「火災の無い、災害に強い町づくり」から、より良い社会を目指します。
適材適所という言葉があるように、自ら自分が社会にとって適している場所を選択して、その場所で一生懸命に取り組むことが、全体的に「よい良い社会」を構築できるものだと思います。皆が個々考えて、自分なりのことについて取り組んで、気が付けば良い社会になっていた。このように社会の形態は結果的でなけらばならないと思います。何事も先に結果を求めてはいけないですね、「成果が実を結ぶ」=結果なんだと改めて思う次第です。
震災から1年間、色々関心を寄せていたり、目を向けたり、活動したり、一方では忘れていたり、違うことに関心を寄せたり、それは各個人で判断すれば良いことだと思います。常に考え続けることが正しくもないし、目を向けないことが正しいわけでもない。しかし一時の情報・メディアから発信される「とにかく自分の出来ることを考え続けろ!震災について、原発について考え続けろ!」のプレッシャーをかけられた時期からは、ようやく少し冷静に震災について改めて考えられるのではないでしょうか。間もなく迎える3月11日にあたって、この1年を自分の生活、社会についてゆっくり考えるタイミングにしてみてはいかがでしょうか、というのが私論です。