東京日和と音楽の始まり
※この日記は、6月18日(土)に書いています。
さて、話題を変えて。音楽ネタのブログがいくつかあったので、自分の音楽の始まりについて少しお話してみたいと思います。
小学生時代。家の中でMTVが流れていてる、そんな最近に見られる家庭では決してなくて、カセットテープで石原裕次郎のカラオケBOXがある、そんなぐらいでしか音楽と触れ合うことのない一家でした。時はレコードからCDに以降していく時代。ある日、我が家にCDプレーヤーとプリンセスプリンセスの中古CDがやってきました。何故に親父が、CDプレーヤーを買ってくることはともかくとして、プリプリに手が伸びたのか分かりませんでしたが、歌謡曲ばかり聴いていた子供が、いきなりポップ&ロックスを目の前にしたことは、それはそれは衝撃的なことでした。そして中学生になって、初めて自分で購入したCDが小田和正の「Oh Yeah!」で、恋愛も全く未経験ながら、男目線の恋の歌詞を必死に覚えたものでした。(覚えた、というか、正式には乾いた脳にどんどん吸収されていった、そんな感じでした)そして、山科駅近所のレコード屋さんで購入したJanet Jacksonの「janet.」これでR&B音楽に目覚めてしまったわけです。周辺は、エアロスミスだボンジョビだ、言うてる時期に、ボーイズⅡメンやシャイ(その頃はアカペラブームでしたね)さらにはアイズリーブラザーズまで手を伸ばし、あぁ自分には黒人の血が流れているんだなぁ、と勘違いした中高時代があったわけです。2Pacが射殺されたときには、唯一黒人音楽論議が出来るタナベ君と涙を流し、FM802の日曜日トップ100とKBS京都で放送されていたビルボード40は欠かさずにチェックする、そんな音楽バカでした。(特にビルボードの方は、旬な黒人音楽の情報を入手する唯一の方法でした)それが今や明治以降の音楽だったり、音頭だったり、ハチャメチャな音楽趣向になっているわけですが、ルーツとして、やはり「黒人」というものがベースになっている今日この頃なわけです。
ちなみに。車に積んでいるCDは、Pizzicato Oneの新譜でしょ、それからDr.John「ガンボ」渋さ知らズ「渋旗」市丸「市丸のすべて」都はるみ他「全国音頭大全集」大瀧詠一「NiagaraMoon」と、闇鍋の具材のように、今後もどんどん色々な食材が放り込まれて、たくさんのエキスが、そのスープに混ざり込んでいくのでしょう。
さっ明日は早起きだ。